観光しませう!

バックナンバー
2020.09掲載
神奈川県小田原市・下曽我

城前寺(じょうぜんじ)
~曽我兄弟の菩提寺

城前寺は、1193年(建久4年)、富士裾野で父の仇工藤祐経を討った曽我兄弟の菩提寺。
曽我兄弟の叔父宇佐美禅師が兄弟の菩提を弔うために庵を結んだのがはじまりとされます。
曽我城の大手門がこの辺りだったことから、城前寺となりました。
源頼朝が、1193年(建久4年)に催した富士裾野の巻狩りで、曽我兄弟による仇討ち事件が起こり、曽我十郎祐成と五郎時致兄弟は、父の仇である工藤祐経を見事に討ちとった(5月28日、雷鳴が響き渡る夜のことです)。
曽我氏の館(曽我城)があったとされる地には、城前寺があり、本堂裏手には、兄弟の墓といわれる五輪塔があります。

写真中左)曽我兄弟は幼い頃、工藤祐経によって父の河津祐通(祐泰)を殺され、母の再婚相手曽我祐信のもとに預けられました。
写真中右)曽我兄弟の墓
写真下左)2020年7月30日~8月20日頃まで曽我梅林一帯にて「土用干し」が見られます。ちなみに土用干しとは、「6月頃に収穫・塩漬けした梅漬けを3日間日干し・夜干しすること」です。旨味を引き出すためにとても大事な作業です。1年間で今しか見られない光景です。

2020.09掲載
茨城県常総市・水海道

法蔵寺(ほうぞうじ)~累(かさね)の墓

法蔵寺は「累」の墓所として全国的に知られています。累のものがたりは、江戸時代初期、慶長17年から寛文12年までの60年にわたって繰り広げられた、親が子を、夫が妻を殺害にいたる男女の心のすれ違いに因果が絡む陰惨は出来事をいいます。
この下総羽生村(今の茨城県常総市)に伝わる累伝説をもとに、事件から150年後、「真景累ヶ淵(しんけいかさねがふち)」など歌舞伎等で上演されるようになって広く世に知られるようになりました。
累一族の墓には、中央に二基の仏像を彫った碑があります。左側が累の墓、右側が助、累の墓の左がきくの墓とされます。

2020.08掲載
奈良県 吉野町

狐忠信の碑

時代を越えてさまざまな舞台の中心となった“奈良県・吉野”。
『義経千本桜』の主人公のひとり“狐忠信”の碑があると知り吉野山へ向かいました。
“狐忠信”の正体は、静御前の持つ“初音の鼓”の皮に使われた狐の子。
母を慕うあまり、義経四天王の一人、佐藤忠信に化けて、静とともに旅をしていました。
その狐をしのぶ碑は脳天大神に向かう参道にあります。
蔵王堂横の階段を降りること445段、「狐忠信霊」と彫られた石碑がひっそりと建っていました。
碑の後ろの崖から、今にも狐が“ひょっこり”と出てきそうです。

2020.08掲載
千葉県 木更津市

与三郎の供養墓・こうもり安の墓

「切られ与三」と異名をとった与三郎のお墓が、ゆかりの地・木更津の光明寺(こうみょうじ)に建てられています。
『与話情浮名横櫛』 は運命的な出会いをした与三郎とお富の変転を描いた「世話物」の代表作。
「しがねえ恋が情けの仇」から始まる名ぜりふは聞きどころです。
歩いてすぐの選擇寺(せんちゃくじ)には、相棒の「こうもり安」のお墓もあります。
劇中では、すっきりした与三郎に対して、少々野暮な雰囲気の「蝙蝠の安五郎」ですが、実際はなかなかの男ぶり、天性の美声で花柳界の寵児と言われるほどの人物だったとか。

2020.07掲載
島根県 石見

石見神楽(いわみかぐら)

島根県西部(石見地域)に伝承される神楽のひとつで、島根県大田市の石見地方を代表する郷土芸能で、演目は30を超えます。
その年の豊作・豊漁・無病息災を祈願し、神々に捧げる儀式として古くから舞われてきました。
また、歌舞伎の演目でヤマタノオロチで知られる『日本振袖始』(にほんふりそではじめ)として平成26(2014)年3月に歌舞伎座の柿葺落興行の最後を飾りました。
現在も石見地域のお祭りやイベントには欠かせない伝統芸能として、世代を問わず人々の生活に息づいています。そのような姿から、日本遺産に認定されました。

※日本遺産とは、地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを「日本遺産」として文化庁が認定する制度です。

2020.07掲載
島根県 太田市

大田市の一日漁(いちにちりょう)

一般的な底引き船は、出漁すると3日から1週間帰港しませんが、大田市の一日漁は「早朝に出港し、近海で漁を行い、その日の夕方に水揚げを行う」漁の形態で鮮度は抜群です。
水揚げされた魚は夕競りにかけられ、今では北陸地方の一部と、ここ島根県大田市だけに残る希少な漁形態になりました。