観光しませう!

バックナンバー
2021.02-03掲載
九州《福岡・佐賀・長崎・大分》

福岡県 天孫降臨の山 英彦山

福岡県北部にそびえる霊峰・英彦山。出羽の羽黒山、熊野の大峰山と並ぶ日本三大修験の山として、古くから厚く信仰され、多くの登山愛好家が訪れます。また、英彦山の麓は、梅野下風・近松保蔵合作「彦山権現誓助剣(ひこさんごんげんちかいのすけだち)」に毛谷村として登場します。
英彦山信仰において、大きな拠点となるのが「英彦山神宮」です。「天孫降臨」で知られる太陽神 天照大御神の子・天之忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)が主祭神で、中岳山頂の上宮を本殿とし、中腹にある奉幣殿で年間祭祀や祈願が行われています。神々しい雰囲気で、心身が清まる感じがします。
800年の伝統を誇る「英彦山がらがら」は、素焼きならではの乾いた音色が特徴の土鈴で、家の玄関に魔除けとして置くなど、人々の生活を守る存在として親しまれています。

写真
上段:英彦山神宮銅鳥居(かねのとりい)
中段左:奉幣殿
中段右:参道
下段左:中岳山頂・上宮
下段右:英彦山がらがら

佐賀県 鹿島市 日本酒ファンが集うまち

鹿島市は佐賀県の西南部に位置し、東には有明海が広がり、西は多良岳山系に囲まれ自然環境に恵まれた場所です。日本三大稲荷「祐徳稲荷神社」には国内外から年間300万人以上の参拝者が訪れる人気の神社がある事でも知られていますが、ここ数年は「日本酒のまち」として全国的に注目を集めています。市内には現在も6つの造り酒屋があり、毎年3月には合同酒蔵開きである「鹿島酒蔵ツーリズム」が開催され、2019年には約10万人の日本酒ファンが訪れました。その他干潟で泥んこになって行う「鹿島ガタリンピック」、「ラムサール条約湿地」に登録された「肥前鹿島干潟」等の有明海の自然にも是非触れて頂ければと思います。

写真
上段:祐徳稲荷神社
中段左:道の駅鹿島干潟体験
中段右:肥前浜宿

長崎県 長崎の2つの世界遺産

美しい自然と豊富な観光資源に恵まれた長崎県。 多くの離島を有し、県の総面積の45.5%は「しま」で、海岸線の長さは北海道に次いで全国2位です。
そんな長崎県には過去から現在、そして未来へ引き継いでいくべき二つの世界文化遺産があります。一つは、2015年に登録された「明治日本の産業革命遺産」。もう一つは、2018年に登録された「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」です。どちらも長崎からはじまった日本の歴史の1ページ。壮大なドラマと神秘的なかおりが感動を呼び起こします。このほか、日本遺産の第一号に認定された「国境の島 壱岐・対馬・五鳥」や世界新三大夜景にも数えられる長崎市の夜景、 海や山の豊かなめぐみなど、長崎県には魅力がいっぱい詰まっています。ぜひ長崎県にお越しください。

写真
上段:大浦天主堂(長崎市)
中段左:軍艦島(端島)(長崎市)
中段右:稲佐山からの夜景(長崎市)
下段左:高浜海水浴場(五島市)
下段右:白嶽(対馬市)

大分県 坐来大分

「坐来大分」は銀座にある大分県公式アンテナショップ型レストランです。 『坐来』とは『いながらにして』という意味で、東京銀座にいながらにして、大分に憶いを馳せる、という思いが込められています。
「坐来大分」では、大分の海と山から届いた季節の食材をふんだんに使用した彩り豊かな月替わりのコースを召し上がっていただけます。
また、豊の国のおいしさを個室で味わっていただける昼膳や、テイクアウトできる大分の「おいしい」を詰め込んだお弁当・折詰をご準備しております。いずれも、前日までの要予約となっております。
さらに、エントランス横では、柚子胡椒や乾しいたけ、銘菓などこだわりの品々をセレクトして販売しています。
坐来大分に隣接する「おおいた情報館」では、大分県内の観光パンフレットをご準備しておりますので、旅行先の情報収集やご相談にお気軽にご利用ください。

坐来大分(ZARAI OITA)
東京都中央区銀座2-2-2 ヒューリック西銀座ビル8F
ランチ  12:00~14:00(L.O. 13:30)
ディナー  17:00~22:00(L.O. 21:00)
ギャラリー(物販) 11:30~
店休日 日曜日、祝日、第1土曜日
TEL 03-3563-0322
※緊急事態宣言の発令に伴い、2月28日まで臨時休業とさせていただきます。

2021.01-02掲載
九州《熊本・宮崎・鹿児島》

熊本県山鹿市 八千代座

明治43年に建築された八千代座は、昭和63年に国の重要文化財に指定された現役の芝居小屋です。
柱の上の小屋組みには洋式工法が採用され、公演のない日は見学も可能です。ドイツ製のレールを使った廻り舞台や花道など、江戸時代の歌舞伎小屋の様式を今に伝えています。
これまで、五代目坂東玉三郎さんや十一代目市川海老蔵さんの歌舞伎公演も開催され、注目を集めました。
八千代座の斜め向かいには、明治20年に建築された「夢小蔵」があり、八千代座で使われていた衣装や小道具が展示されています。
また、山鹿の奥座敷、「平山温泉郷」では、「美肌の湯」と呼ばれる化粧美容液のような、ぬるぬるとろとろの柔らかなお湯が溢れています。

写真
上段:八千代座外観
中段左:八千代座外観
中段右:内観
下段:平山温泉

宮崎県 日向神話旅

日本には八百万の神々が住まうといわれます。太陽や雨、風、奇石、巨木、あるいは獣、あるいは魚など、ありとあらゆる自然のものに、人々は神を見出だしてきました。国学者・本居宣長は日本人にとっての神を「可畏きもの」と呼んでいます。恩恵を受け敬う存在であると同時に、畏れるべき存在。そうした神の存在を現代の私たちが日常の中で感じる瞬間は、どれくらいありましょう。

「古事記」と「日本書紀」には、国生み・神生み、天岩戸開き、天孫降臨、海幸山幸、そして神武東征など、数多くの神話が描かれています。これらの神話が伝わる宮崎には、今もこうした「神さま」をすぐそばに感じる場所が点在しています。宮崎の神話ゆかりの地を訪れる“日向神話旅”をぜひお楽しみください。

鹿児島県アンテナショップ
かごしま遊楽館

有楽町・日比谷にある、「かごしま遊楽館」は、首都圏と鹿児島を結ぶ拠点として鹿児島県が設置しており、鹿児島の特産品や農産物、観光情報などの発信を行っています。
平成7年5月30日にオープン。令和2年5月に25周年を迎えました。

1階では、焼酎、さつまあげ、さつまいもなどの食品販売を行っているほか、観光案内コーナーも設置しています。
2階はレストランとなっており、名物の黒豚しゃぶしゃぶをそばつゆ仕立てでさっぱり食べられます。ランチも大変人気があります。
3階では、薩摩焼、薩摩切子、大島紬、屋久杉加工品などの展示販売を行っています。

ぜひご来館ください。職員一同心よりお待ちしております。

写真
上段:かごしま遊楽館外観
中段左:観光案内コーナー
中段右:工芸品販売店内
下段左:食品販売店内
下段右:人気のしゃぶしゃぶ!

かごしま遊楽館
東京都千代田区有楽町1-6-4 千代田ビル1~3階


03-3580-8821(1階食品販売)
03-3506-9174(1階観光案内コーナー)
03-3501-3123(2階レストラン)
03-3506-9171(3階工芸品展示・販売)

2020.12掲載
島根県 出雲市・大田市
十二月大歌舞伎の第四部『日本振袖始』(にほんふりそではじめ)の“島根県の出雲市と大田市”を訪ねました。

出雲大社

出雲大社は「縁結びの神様」として、また「因幡のしろうさぎ神話」で有名な、大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)をお祀りしています。
大国主大神は、幾多の困難を越えて国土を開拓された国造りの神様であり、さらにその国土を天照大御神(あまてらすおおみかみ)に譲った国譲り神話でも知られています。出雲大社は、国譲りの代償として造営されたのが起源とされます。
境内には、大国主大神とスセリヒメ神が出雲大社にお鎮まりになられた由緒を紹介する「縁結びの碑」があります。二柱の神は様々な試練を克服して愛を育み、夫婦の契りの盃を交わして永遠のご縁を結ばれました。「縁結びの神様」と呼ばれる由縁はここにあります。縁結びは男女の縁だけでなく、人々を取り巻くあらゆる繋がりのご縁を結ぶものとされ、全国から多くの人々が良縁を求めて出雲大社を訪れます。

写真
上段:神楽殿(大注連縄)
中段左:神楽殿(大注連縄)
中段右:御本殿
下段左:御本殿・八足門

出雲阿国の墓

日本を代表する伝統芸能・歌舞伎の始祖として知られている出雲阿国は、出雲大社の巫女であったと伝えられています。
天正の頃、出雲大社本殿の修復勧進のため京都へ上り、世にいう歌舞伎踊りを創始しました。
出雲阿国のお墓は出雲大社から稲佐浜へ向かう途中、山根の太鼓原の石段を登っていくと中村家の墓があり、出雲阿国の墓は、特別に石棚で囲った平たい自然石で作られています。当サイトの“買いたいものはここにある”の阿国かまぼこは、出雲阿国の後裔である当家33代目中村国市が創業した、大社町で歴史ある蒲鉾店(中村蒲鉾店)のかまぼこです。今回の訪問によって、中村様とめぐり会うことができました。

石見神楽(いわみかぐら)

『日本振袖始』は近松門左衛門が神話を基にして人形浄瑠璃のために創ったお芝居です。このお芝居のなかに、素盞鳴尊(すさのおのみこと)が高熱に苦しむ稲田姫(いなだひめ)を、着物のワキの下を切り開いて熱を発散させ、鎮めるくだりがあり、それこそが着物の身ごろのワキを明けた、いわゆる身八つ口(みやつくち)を持つ「振袖」の始まりである、と説かれていることから、このタイトルがつけられたともいわれています。
この伝説は現在の島根県大田市の石見地方を代表する郷土芸能です。今回の訪問では大田市大代町の大江髙山神楽社中の公演「塵輪じんりん」「大蛇おろち」を観劇しました。
独特の哀愁あふれる笛の音、活気溢れる太鼓囃子に合わせて、金糸銀糸を織り込んだ豪華絢爛な衣裳と表情豊かな面を身につけて舞う石見神楽は、初めて観る人にも明快で、自然と目の前で繰り広げられる神話の世界に誘われます。
島根県の訪問を終え、ここには国づくりの神様を祀る出雲大社や、歌舞伎の創始者ゆかりの地、そして神々が集まる聖地など価値あるところがたくさんあることに改めて気付かされました。

2020.11掲載
山梨県早川町(日本一人口の少ない町)
早川町は、山梨県の南西部に位置し、南アルプスの山々に囲まれた自然豊かな町です。
町名の由来となっている町の中央を流れる早川を中心に、大小の滝や渓谷が、美しい風景を作り出しています。
東西15.5km・南北に38km、369.96km²の広大な面積を有し、町土の96%を森林が占めています。
新緑や紅葉の時期は特に美しく、周囲を囲む山々の四季折々の変化は鮮やかで、見るものの目を楽しませてくれます。

赤沢宿

赤沢は中世のころから聖地身延山と霊場七面山とを結ぶ参道の宿場として知られてきました。
江戸初期、徳川家康の側室お万の方の功績により、七面山の女人禁制が解かれ、同・中期頃になり山岳信仰の富士講や身延講などが盛んになるにつれ、七面山への参拝者が急増し赤沢の旅籠、強力、駕籠人足を利用する人たちも多く、宿場として活気があり、大正から昭和期にかけて身延線の開通とともに参詣客も急増し、赤沢宿も隆盛をきわめたが、迂回道路の整備や交通の便がよくなるに従い、昭和30年代ころより宿を利用する者は激減しています。 集落にはこの往時の隆盛の過程を示す伝統的建造物や民具が多く、保存状態も良く町並や参道、敷地の形態、石畳、古道、石段など周囲の山々と良く調和し、歴史的自然的景観を今もよく残っております。昔の歴史景観を歩いてるような風情があります。 平成5年に国の重要伝統的建造物群保存地区として認定されました。

奈良田

奈良田は、孝謙天皇にまつわる「奈良田の七不思議」が伝わる秘境の地。
奈良の都で僧道鏡と恋仲になられ、何時しか婦人病にかかられた。病気平癒を神に祈願されると一夜夢に、甲斐の国湯島の郷に、霊験あらたかな温泉があるので、奈良田の郷へ遷居するがよいとのお告げがあったので、供奉の者七、八人と供に、天平宝字二年五月、奈良田にお着きになり、王平の地に仮の宮殿を造られ、温泉に入浴されると旬日を経ずして、病は快癒されたが、都が穏やかになるまでの間八年を奈良田に過ごされ、天平神護元年還幸になられた。奈良王様(孝謙天皇)が奈良田に遷居された八年間、奈良王 様が都へお帰りになった後も村人達は奈良王様のお住まいを奈良王神社として奉り、様々な伝説がありこれを【奈良田の七不思議】として今でも語り継がれている。 【七不思議の湯 白根館】源泉100%掛流しのアルカリ性硫黄泉、透明、グリーン、白濁と変化する神秘的な温泉は、手を入れた瞬間に思わず微笑んでしまうほど、とろんとろんの美肌の湯。 【町営 奈良田の里温泉 女帝の湯】ぬるぬるとした肌触りが特徴の美人の湯。源泉かけ流しでぬるめの泉質と、窓からの奈良田湖の眺めが人気です。

2020.10掲載
神奈川県鎌倉市・鶴岡八幡宮

鶴岡八幡宮

古都・鎌倉の中心部に位置する鶴岡八幡宮。その歴史は康平6年(1063年)、源頼義が奥州を平定して鎌倉に帰り、源氏の氏神として出陣に際してご加護を祈願した京都の石清水八幡宮を由比ヶ浜辺にお祀りしたのが始まりです。その後、源氏再興の旗上げをした源頼朝公は、治承4年(1180)鎌倉に入るや直ちに御神意を伺って由比ヶ浜辺の八幡宮を現在の地にお遷しし、 建久2年(1191)には鎌倉幕府の宗社にふさわしく上下両宮の現在の姿に整え、鎌倉の町づくりの中心としました。

写真上)太鼓橋から本宮を望む 入ってすぐに目に入るのが「源氏池」と「平家池」。そこに架かる太鼓橋
写真中左)三ノ鳥居 境内への入口
写真中右)舞殿とその上に本宮 参道をまっすぐ歩くと、見えてくるのが写真手前の舞殿。こちらは源義経の愛妾であった静御前が義経を想う舞を納めたとされる廻廊跡に建っており、現在も「鎌倉まつり」ではそれにちなんだ「静の舞」が行われます。
鶴岡八幡宮をこの地へ遷した源頼朝は、平安京を手本として町づくりを行い、その際に朱雀大路になぞらえて建設された若宮大路です。段葛(だんかずら)と呼ばれる参道から由比ヶ浜までまっすぐに続く道は美しく、鶴岡八幡宮が鎌倉の中心的な存在の一つであることが実感できます。
写真下左)本宮の楼門 舞殿の向こう側、大石段を上った先にあるのが本宮の楼門。扁額に記された八幡宮の「八」は鳩の向き合う形を表しています。これは八幡神の使いが鳩であることにちなんだもの。本宮は文政11年(1828年)に江戸幕府によって造られたもので、漆の朱に極彩色の彫刻が華麗な印象です。
写真下右)小町通り 参道のある若宮大路と並行に走る商店街です。鎌倉名物しらす丼や鎌倉グルメが盛りだくさん。お土産探しにも便利です。

2020.09掲載
神奈川県小田原市・下曽我

城前寺(じょうぜんじ)
~曽我兄弟の菩提寺

城前寺は、1193年(建久4年)、富士裾野で父の仇工藤祐経を討った曽我兄弟の菩提寺。
曽我兄弟の叔父宇佐美禅師が兄弟の菩提を弔うために庵を結んだのがはじまりとされます。
曽我城の大手門がこの辺りだったことから、城前寺となりました。
源頼朝が、1193年(建久4年)に催した富士裾野の巻狩りで、曽我兄弟による仇討ち事件が起こり、曽我十郎祐成と五郎時致兄弟は、父の仇である工藤祐経を見事に討ちとった(5月28日、雷鳴が響き渡る夜のことです)。
曽我氏の館(曽我城)があったとされる地には、城前寺があり、本堂裏手には、兄弟の墓といわれる五輪塔があります。

写真中左)曽我兄弟は幼い頃、工藤祐経によって父の河津祐通(祐泰)を殺され、母の再婚相手曽我祐信のもとに預けられました。
写真中右)曽我兄弟の墓
写真下左)2020年7月30日~8月20日頃まで曽我梅林一帯にて「土用干し」が見られます。ちなみに土用干しとは、「6月頃に収穫・塩漬けした梅漬けを3日間日干し・夜干しすること」です。旨味を引き出すためにとても大事な作業です。1年間で今しか見られない光景です。

2020.09掲載
茨城県常総市・水海道

法蔵寺(ほうぞうじ)~累(かさね)の墓

法蔵寺は「累」の墓所として全国的に知られています。累のものがたりは、江戸時代初期、慶長17年から寛文12年までの60年にわたって繰り広げられた、親が子を、夫が妻を殺害にいたる男女の心のすれ違いに因果が絡む陰惨は出来事をいいます。
この下総羽生村(今の茨城県常総市)に伝わる累伝説をもとに、事件から150年後、「真景累ヶ淵(しんけいかさねがふち)」など歌舞伎等で上演されるようになって広く世に知られるようになりました。
累一族の墓には、中央に二基の仏像を彫った碑があります。左側が累の墓、右側が助、累の墓の左がきくの墓とされます。

2020.08掲載
奈良県 吉野町

狐忠信の碑

時代を越えてさまざまな舞台の中心となった“奈良県・吉野”。
『義経千本桜』の主人公のひとり“狐忠信”の碑があると知り吉野山へ向かいました。
“狐忠信”の正体は、静御前の持つ“初音の鼓”の皮に使われた狐の子。
母を慕うあまり、義経四天王の一人、佐藤忠信に化けて、静とともに旅をしていました。
その狐をしのぶ碑は脳天大神に向かう参道にあります。
蔵王堂横の階段を降りること445段、「狐忠信霊」と彫られた石碑がひっそりと建っていました。
碑の後ろの崖から、今にも狐が“ひょっこり”と出てきそうです。

2020.08掲載
千葉県 木更津市

与三郎の供養墓・こうもり安の墓

「切られ与三」と異名をとった与三郎のお墓が、ゆかりの地・木更津の光明寺(こうみょうじ)に建てられています。
『与話情浮名横櫛』 は運命的な出会いをした与三郎とお富の変転を描いた「世話物」の代表作。
「しがねえ恋が情けの仇」から始まる名ぜりふは聞きどころです。
歩いてすぐの選擇寺(せんちゃくじ)には、相棒の「こうもり安」のお墓もあります。
劇中では、すっきりした与三郎に対して、少々野暮な雰囲気の「蝙蝠の安五郎」ですが、実際はなかなかの男ぶり、天性の美声で花柳界の寵児と言われるほどの人物だったとか。

2020.07掲載
島根県 石見

石見神楽(いわみかぐら)

島根県西部(石見地域)に伝承される神楽のひとつで、島根県大田市の石見地方を代表する郷土芸能で、演目は30を超えます。
その年の豊作・豊漁・無病息災を祈願し、神々に捧げる儀式として古くから舞われてきました。
また、歌舞伎の演目でヤマタノオロチで知られる『日本振袖始』(にほんふりそではじめ)として平成26(2014)年3月に歌舞伎座の柿葺落興行の最後を飾りました。
現在も石見地域のお祭りやイベントには欠かせない伝統芸能として、世代を問わず人々の生活に息づいています。そのような姿から、日本遺産に認定されました。

※日本遺産とは、地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを「日本遺産」として文化庁が認定する制度です。

2020.07掲載
島根県 太田市

大田市の一日漁(いちにちりょう)

一般的な底引き船は、出漁すると3日から1週間帰港しませんが、大田市の一日漁は「早朝に出港し、近海で漁を行い、その日の夕方に水揚げを行う」漁の形態で鮮度は抜群です。
水揚げされた魚は夕競りにかけられ、今では北陸地方の一部と、ここ島根県大田市だけに残る希少な漁形態になりました。