歌舞伎座楽市とは

全国各地の観光・商品・店舗を紹介する「歌舞伎座楽市」を新たに開設します!地方活性化への貢献をめざし、バイヤーが厳選した全国の特産品や銘品を歌舞伎座ならではの視点で紹介。活気溢れる自由で楽しい〝歌舞伎座楽市”を観光PRの拠点として、伝統と感動を提供していきます!ご期待ください!

歌舞伎座浮世絵散歩

牧野健太郎先生ならではの楽しい切り口で、ご一緒に浮世絵の世界を歩きましょう!

『東海道五十三次 大尾 京師 三条大橋』 歌川広重
第十二回 読み解き浮世絵コード
~大尾~

東海道の「読み解き浮世絵コード」も12回目、ここは五十三次の西の起点、京都です。京の鴨川に架かる三条大橋、そして「大尾」は、しっぽ、おわりの意味です。

この浮世絵に描かれた当時の方々、お江戸日本橋からこの京都三条大橋まで、約500キロを14~15日間で踏破、その道筋には、大井川などの川渡し、さらに箱根八里、薩?(さった)や鈴鹿などの峠越え、尾張と伊勢の間の海の道(七里の渡し)、山坂さらに川と海、その東海道を毎日平均約33キロの徒歩旅行です、とっても元気です。

このシリーズが出版される少し前、1802年頃から十辺舎一九さんの「弥次・喜多さん」、読み本「東海道中膝栗毛」が出る辺りから、江戸の人たちは旅に憧れて、当時世界でも珍しく、ほとんど最初に一般庶民の方々が、寺社参りと称して物見遊山、観光旅行を始めました。そこにこの広重さんの「東海道五十三次」が出されて、まるで現在のカラー・ガイドブック、旅行グラビア出版のようにとても人気となりました。

そしてこの憧れの「京都」、大尾の上りです、広重さんも力こもってます。京都のシンボル三条大橋、長さ57間2寸(約104m)、江戸・日本橋の37間4尺5寸(約69m)より長いんです、幅は少し狭目でしたが、長かったんです。橋の上に描かれておいでの方々も、皆さま雅(みやび)、優雅にゆったりと渡られています。

また橋の向こう、遠景の山々は、くしくも東山三十六峰、遠くに比叡山、手前の山の麓には、しっかり今も人気の清水寺と八坂の塔、さらに今なら東山区の町並み、家並みがずらりと描かれています。
また現在ならば、この橋の左端のたもとの地下に、京阪電車の三条駅、京都市営地下鉄東西線・三条京阪駅がある事になります。

となると、困った。「東山三十六峰」、北の比叡山から南の稲荷山まで、京都の町の東側を10キロメートル以上守るように優しく連なっているはずです。清水寺の背後に比叡山はありません。実は広重さん、いろいろな文献資料を参考に描かれたとも言われていて、この三条大橋も、1833年当時、木造りではなくて、一部石造りの橋だったとも伝わっています。
当時の浮世絵の版元さんも大変なんです、旅行ブームと共によく売れるシリーズしっかり企画して、取材して、資料揃えて、絵師に渡して描いてもらう、真に迫ったカラープリント作品を世界に先駆けて創作されていました。

また橋を渡る不思議な人々が描かれています。隊列の人たち、御幣を立てた馬や荷を担ぐ人、鑓を背負う人、更には都のイメージなのか、ロングヘヤーや被衣(かずき)姿の美しい方々が、この長い橋を渡っておいでです。
そしてひとりだけ、橋の欄干から鴨川の流れを物憂げに静かにのぞき込む被り笠、旅姿の優男、大尾を飾る絵師・広重さんご本人が登場されているとも言われています。

そして彼の後ろ、背に高く荷を掲げて歩く人、あの六波羅蜜寺、空也上人ゆかり、年末恒例の「茶筅売(ちゃせんうり)」さんです。新年にこの茶筅でお茶を点てると疫病退散・無病息災まちがいなしの縁起物売りさんがしっかり描かれています。
新年は特に明るい年になりますように、ありがとうございました。

観光しませう!

河竹黙阿弥
~歌舞伎座タワー5階「屋上庭園」~

黙阿弥の石燈籠と蹲踞(つくばい)

今月第二部では『釣女』、第三部では『盲長屋梅加賀鳶』が上演されますが、チラシの題名の右側に「河竹黙阿弥」という名が並んで見えます。400年近い歌舞伎の歴史は、数多くの作者を輩出していますが、元禄期の近松門左衛門、文化文政期の四世鶴屋南北と共に、黙阿弥は歌舞伎の三大作者の一人として讃えられ、その作品はどの作者よりも抜きんでて多く上演されています。

黙阿弥は市井の人々の姿を、幕末から明治にかけての世相を背景に生き生きと描写し、筋立ての面白さと共に豊麗なセリフを駆使して、耳に心地よい七五調の名ゼリフを随所に織り込んだ作品を次々に発表します。78歳の生涯(1816~93)の間に約360篇の作品を残したと言われ、その黙阿弥を評して坪内逍遙は「真に江戸歌舞伎の大問屋」と賞賛しました。

歌舞伎座タワー5階にある「屋上庭園」には、歌舞伎にまつわる記念碑が設けられていますが、そのうちの一つに「黙阿弥の石燈籠と蹲踞(つくばい)」があります。黙阿弥が晩年の6年間を過ごした本所南二葉町(いまの亀沢二丁目)の庭に置かれていた遺愛の二品です。観劇の前後に、ぜひ足をお運びください。

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鮭川歌舞伎

《鮭川歌舞伎の歴史》
鮭川歌舞伎の起源は、江戸時代の安永2年まで遡り、約250年の歴史があります。江戸から巡業してきた歌舞伎一座が村人に伝えたのが始まりとされています。
鮭川村には当時、京塚芝居「京旭座」、石名坂芝居「豊石座」、上大渕芝居「大渕座」、川口芝居「川村座」の4つの歌舞伎の一座が存在しました。しかし、時が経つにつれて活気が薄れ、一時村内の歌舞伎が消滅の危機を迎えます。そこで、このまま歌舞伎文化を失う訳にはいかないと有志が立ち上がり、昭和46年に4つの座を統合し、「鮭川歌舞伎保存会」が結成されます。
この保存会結成のニュースが東京の「舞踏千升会」の市川千升氏に伝わり、劇団が使用していた舞台装置や道具類が多数寄贈され、鮭川歌舞伎再興の大きな力となりました。その後、平成18年1月には「山形県指定無形民俗文化財」に指定されました。

《現在の鮭川歌舞伎》
毎年6月には鮭川村中央公民館を会場に定期公演を開催し、500名を超える来場者があります。また、子ども歌舞伎の取り組みなど後継者の育成にも力を入れ、多くの若者が役者として活躍し、今では役者の半数以上が地域の若者が占めています。

《土舞台公演の復活へ》
鮭川歌舞伎保存会結成50年の節目を迎えるにあたり、ひとつのプロジェクトが動き出しています。土舞台公演の復活です。
50年前までは、村内の神社境内にある土で盛られた舞台「土舞台」の上で歌舞伎を演じていました。現在は歴史ある土舞台での上演は行われておりませんが、今年の6月12日(日)に、鮭川歌舞伎保存会を中心に土舞台での復活公演を予定しています。
近年では少なくなった、大自然の中での農村歌舞伎公演を、多くの皆様にご覧いただく予定です。(予約申し込みは終了いたしました)
当日はインターネットでのライブ配信も予定しておりますので、ぜひご覧いただければと思います。
http://youtu.be/u0DwvFu5Nbw

【鮭川歌舞伎土舞台特別公演】
日にち:令和4年6月12日(日)12時開演
場 所:鮭川村京塚地区愛宕神社 土舞台
問合せ:鮭川歌舞伎土舞台特別公演実行委員会(鮭川村役場内)0233-55-2111
※申込は締め切りいたしました
詳細はこちら

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牧野健太郎(まきの けんたろう)

公益社団法人日本ユネスコ協会連盟 評議委員、明治大学・明治大学リバティーアカデミー・NHK文化センター調師。 教育番組・アニメーション番組の制作やイベントなどのプロデューサー。 2003年よりボストン美術館との共同制作、浮世絵デジタル化プロジェクトの日本側責任者。